基本的な構成としては、脳に起因する疾患の具体例を挙げ、そこから脳の構造や役割を説明するという作り。
筆者のラマチャンドラン博士(インド人です)は
「幻肢」研究の権威ということでまずはそこから話が始まっています。
幻肢というのは、事故とかで失った手足が(実際には存在しないのに)まだ痛むとかいうアレです。
僕を含めて大多数の人は、切断面の神経が傷んでるとかその程度にしか考えていなかったと思うのですが、実際にはそんな単純なモノではないのです。
例えば、
生まれつき腕がないにも拘らず幻肢がある人が存在するという驚くべき事実が挙げられています。
何故その様なことが有り得るのか、この話は有名なペンフィールドのホムンクルスの話を絡めて脳の構造を解明してゆき、最終的に幻肢の切断手術に成功するところまで発展するのだが到底書ききれないので割愛。
「幻肢の説明を求めた過程で、足フェチの根拠に行き着くとは思わなかった!」(脳内地図では足と性器の神経野が隣り合っているので、感覚が混線しやすい)
この辺の話を踏まえると、フィクションでよく見る「幻覚の攻撃で実際にダメージを受ける」というのはあながち出鱈目では無いのかなあ、などと思いますね。
少なくとも痛みは正真正銘本物のはずですし、(何故なら、痛みというのは肌ではなく脳で作られているから)
実際に肉体に影響(出血など)が出る可能性も十分あるでしょう。
(「精神‐肉体間」=「末端感覚器‐脳」間の相互フィードバックの影響がかなり大きいのは本書で述べられている)
次に挙げられている
「脳の中のゾンビ」という概念も面白い。
人間は自分の体をほぼ任意にコントロールしていると思っていますが、実際には多くの動作を無意識下で行っているゾンビのような存在があるという事が指摘されています。
それは呼吸は意識せずに行っているとかいう単純な話ではなく、脳の損傷で視覚障害がある人、
例えば
左半分が全く視認出来ていない人が左側から飛んできたボールをキャッチできてしまうといった事象です。
(しかも何が飛んできたかと尋ねると「見えないから分かりませんよ」と答える)
この辺り、実はゲーマー諸兄には馴染みのある感覚ではないかと思います。
例えば、ゲームプレイ中横で見てた友達に「ちょっとやらせてくれよ」と言われてパッドを渡し、
「魔法は何ボタン?」と聞かれたときに咄嗟に答えられないなんて事は良くあります。
直前まで滑らかに操作していたにも関わらず、どうやっていたかを理解していない。
こういう一般に「指が覚えている」状態というのは、操作の大半を脳内のゾンビに丸投げしているのでしょう。
他にも、波動拳を出そうとするときにいちいち「↓↘→」と意識して入力するのは初心者だけのはず。
ある程度慣れれば「技を出そうと思った、だから出た」という状態になるでしょう。
(ゾンビに波動拳を「学習させた」という事になる?)
だとすると、
非常に熟練された格ゲープレイヤーなら脳疾患で腕が麻痺してしまったとしても、
波動拳を撃つことは可能なのでは!?いや割とマジで。
次の
「盲点」の話題にも興味をそそられます。
眼球には構造上、網膜の欠落が存在し、その為に視野の一部に欠けがあるという事は既に常識であると思いますし、簡単に実証することができます。
『お前は次に、片目を瞑って両手の人差し指を立てる』『はっ!?』
ではなぜ、
片目を閉じた状態でも視野に黒い穴が出来ないのか?それは脳が盲点の周囲のパターンから推測して
欠陥部分に「書き込んで」補完しているからです。
盲点を使って人差し指の先端を消し飛ばして遊んでみれば、背景の壁紙が全く違和感なく「見える」はずです。
(今これを書きながらやってみたところ、テキストウィンドウの白背景だけでなく文字まで補完されている!)
こんな
最新型のフォトショップみたいな怪しい処理が勝手に行われているのは驚愕ですが、
実のところ人間の脳は、視覚情報を受け取った後スムージングやエッジ処理、コントラスト補正等々好き放題やっているとか。
そこで思い出したのがこの絵のこと
↓

有名な、
「AとBが同じ色」という奴ですね。
確かに、ペイントソフトで色比較してみれば同色です。それは分かる。
でも明らかに違う色だろ!納得いかねー!と常々思っていたわけであるがようやく合点がいきました。
脳内で別の色に変化されてるわけだ、そりゃあ違って見えるわ!その他にも
「鏡の中のペンを取ろうとする」とか
「自分の腕を他人のものだと言い張る」とか興味深いケースが満載で、
最終的に
クオリアの様な哲学問題も自然科学的に解明しうると言うところまで言及されています。
この博士なかなか面白い人のようで各所にユーモアが散りばめられているのも好印象。
「ブロンドはなぜもてるのか」という論文を
適当にでっちあげた下りは笑えます。
そして何より科学に対する姿勢が非常に真っ当なのが素晴らしいのです。
例えば、左側頭葉疾患の患者が「神の存在を感じる」という症例を考えるにあたって、仮説の一つとして
「まず、神が本当に彼らを訪れている可能性。もしこれが事実なら、それはそれでいい」(ただし実験的に証明することも、除外することもできない)
と述べている。
こういう「わからない事、従来の知識では説明できない事」に対して拒否反応を示さないのが正しい科学者だと思うのですがどうでしょう。
原著の発行が1998年という事ですが、最新の研究のベースになる部分は全て押さえているとのこと。
注釈も含めてかなりの文量がありますが、
「優れた科学者が面白い本を書く」という稀なケースだという事で、脳とか精神とか大好きな人にはお勧めな一冊です。
文庫版で安いしね!
って今調べたら続編が出てるじゃあないですか・・・!